旅行記 : ニューヨーク(2004年10月9日~10月14日)

旅行記 : ニューヨーク(3日目)

2004年9月
ニューヨーク・三日目

8:00に起床!!!ロウアー・マンハッタンを目指す。
地下鉄に乗る
タッチパネルを押して、地下鉄カード・一回乗車券(Single・2ドル)を購入。
地下鉄カードを買うことができただけでも、かなりの感動。
「よし、乗るぞー」と思って改札に向かう。
しかし不意打ちが待っていた。
自動改札に地下鉄カードを通すや否や、"ERR"と出てきて通ることができない。
何度も通してみるがダメ。。。ホームに入れないよぅ~。
たまらず地下鉄の係員に「通れないんですけれども」と聞いてみる。
「スウィング、スウィング」と、まぁとにかくシッカリ通しなさいとのことだ。
再び改札で、地下鉄カードを通してみるが、やはりダメ。。。
日本ではこんなことは有り得ない。
仕方が無いので。地下鉄カードをもう一枚買った。
今度は問題なく改札を通ることができた。近くにいた南米系の人も手こずっていた。

地下鉄の車内
⑨の地下鉄に乗る。
この電車で行けば、リバティ島行きフェリー乗り場に着くのだが、ガイドブックによると、この線はグラウンド・ゼロ(ツインタワーのあった場所)の地下を通っているので、現在、開通しているかどうかが分からない。
途中乗り換えを覚悟しつつ、地下鉄に乗る。
ふと車内を見渡すと、みんな片手にガイドブックを持っていた。
それはそうだろう。平日の朝っぱらから自由の女神に向かう人といったら観光客しかいない。
他の路線と交差する駅に到着する。
乗り換えに関する車内放送が流れるが音が割れていてよく聞こえない。
みんなこのまま乗っていていいのか、乗り換えたらいいのかアタフタしている。
僕もいったん車輌から降りた。
そんな中で、現地に詳しそうな人が
「この電車でちゃんと着くわよー」みたいな感じで教えてくれた。
ホームに降り立った人たちが、再びゴソっと乗車する。
車内になんともいえない連帯感が生まれた。
そして無事に"サウス・フェリー駅"に到着。

フェリー乗り場

フェリー乗り場
からの眺め

クリントン砦国定記念館でチケットを買い、フェリー乗り場へ行く。遠くに「自由の女神」が見える。
入国審査が厳重だったのを始め、美術館やビルの入り口など、ニューヨークでは至る所でセキュリティー・チェックが行われる。このフェリー乗り場は特に厳しいチェックだった。
あまり考えたくない仮定だが、「ツインタワー」が崩壊するのと、「自由の女神」が崩れるのでは、どちらが世界に与える影響が大きかっただろう?と想像してしまう。

フェリー

フェリーからの眺め
フェリーが動き出すと、「自由の女神」がグングンと近づいてくる。自然と頭の中に「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲が流れてくる。小学校6年生の時に、同じクラスのT野くんと「自由の女神の前で、ウルトラクイズの決勝を戦おう!!!(※高校クイズ選手権は同じチームで参加)」と誓い合ったことを思い出す。

リバティ島
リバティ島からの眺め
リバティ島に上陸して、そのまま真っ直ぐ進むと、星条旗が掲げられている広場から、マンハッタンを一望できるようになっている。
広場を右に曲がると、「自由の女神」の中に入る入口がある。

自由の女神
「自由の女神」の中に入ろうと、入り口のところに行ったら、「チケットがないと入れません」とキッパリ断られてしまった。。。
周りを見渡すと、なぜかみんなオレンジ色のチケットを片手に持っている。
「このチケットはどこでもらえるんですか?」
と聞いてまわったのだが、

自由の女神

「リバティ島ではどこでもらえるかわからない」
と、聞く人聞く人こんな答えが返ってきた。
おそらくフェリー乗り場で貰わなければならなかったみたいだ。
額に汗。。。
20分くらいアタフタしていたら、東欧系の女の子が
「インフォメーション・センターに行けばもらえるよ」と教えてくれた。
早速、インフォメーション・センターに行く。

標識は「インフォメーション・センター」となっているが、どうみてもインフォメーション・センターには見えない建物だった。来る者をはねのけるような頑丈な造りで、軍隊が駐在している雰囲気の建物。。。
おそるおそる重い扉を開けて中を見渡すと、予想通り、軍服っぽい制服を着たガタイのいい人たちが数人いた。
一瞬、逃げようかと思ったが、こちらの姿を見られてしまったので、中に入る。。。
「何か用ですか?」と尋問のように尋ねられた。
「あのー。ここでチケットをもらえるみたいなんですけれど。。。」
と聞いてみたら、
「はい、どうぞ」
っと、アッサリ、チケットをゲット!!!。
「自由の女神」の入口へ向かう。

自由の女神にて、自由を奪われる!?
ニューヨークに来る前に、
「時間の無駄になるので「自由の女神」の中に入るのはやめましょう。
理由は中に入ればわかるよ。」と友人から忠告されていました。
・・・・・・
入口で、またもや厳重なセキュリティ・チェックを受けて中に入ると、30人くらいの小集団にまとめられ、必然的にガイドが付いてまわるようになっていた。
セキュリティー上の問題なのか、お役所的体制なのか、自由の女神の中はガイドの解説を聞かなければ、移動ができないようになっている。
ガイドのペースが全てなのだ。
自由に中を周りたいのに、その自由が奪われ、拘束された気分になる。
「自由の女神にて、自由を奪われる」という結果になってしまった。

自由の女神から思ったこと
ガイドの得意げな解説を聞いていたら、
「自由の女神について、何か知っていることはありますか?」
と、質問が飛んできた。
同グループにフランス人の家族連れがいて、
5才くらいの女の子が元気に手を上げて
「自由の女神はフランスがプレゼントしたのよ」
と、発言。

そうなんだよね。1884年にアメリカの独立100年を祝して、フランスが「自由の女神」をアメリカに贈ったんだ。

そこで、僕はパッと思いついたのですが、フランスといえば国旗が示すとおり「自由・平等・博愛」の国。
なぜ「"自由"の女神」をアメリカに贈ったのか?「"平等"の女神」や「"博愛"の女神」がいてもいいはずだ。
そこで、深読みが始まる。

1884年といえば、列強がひしめく帝国主義の真っ只中。弱肉強食の時代。アメリカも沸々と海外侵略を進めている。こういう背景を想定すると、フランスがアメリカに「自由の女神」を贈る行為は外交手段以外には考えられなくなる。
「アメリカの独立100年を祝して」なんていうのは建前にすぎない。
米大陸発見以来、アメリカとフランスは植民地を巡って常に対立していたわけだし、ヨーロッパはイギリスとフランスとドイツの対立が続いていた。もしアメリカがイギリスやドイツと手を結び、大西洋を渡ってフランスを突くとなったら、ひとたまりもなかっただろう。
世界史を勉強していて「米仏同盟」という用語が無いのが不思議だったのですが、ここで納得しました。「自由の女神」という像を贈ることによって、暗黙の「米仏同盟」を結んだのです。
「自由の女神」がある限り、アメリカとフランスは未来永劫、戦争をする気がしません。こういうのを「国家100年の大計」というのだろう。
1884年当時のフランスの大政治家といったらクレマンソー。「自由の女神」は、彼が考えだした外交政策だったのだろうか?

そしてさらに深読みが続きますが、「"平等"の女神」や「"博愛"の女神」はどうするつもりだったのか?

共産主義の根源は、1800年代の前半、サン・シモン、フーリエ、プルードン、ルイブランらフランス人が考え出したものだ。そして1840年、マルクス・エンゲルスによる「共産党宣言」で、共産主義が全世界へ広がっていく。平等を実現する国家が芽生える兆しが見えてくる。そして、1917年にロシア革命。1922年にソビエト社会主義共和国連邦が成立。時のフランス首相は社会党を率いるクレマンソー。
このとき彼は、2022年に、ソ連の成立100年を祝して「平等の女神」をソ連に贈ろうと考えたのではないかと思う。(ソ連の国家運営の失敗により叶わなかったが。。。)

自由(資本主義)を実現するための実験国家だったアメリカに対しては「自由の女神」、平等(共産主義)を実現するための実験国家だったソ連に対しては「平等の女神」を贈る。この外交政策によって、「お互いに戦争をすることはまず有り得ないだろう」という共通認識を作り出す。本当に壮大な計略だ。
この「お互いに戦争をすることはまず有り得ないだろう」という共通認識を作り出すこと。まさにこの一計が、世界平和を実現する最も有効な手段であるに違いない。
「博愛の女神」については、また別の機会に書くことにする。

と、まぁこんなこんなことを思い、ガイドに質問しようとしましたが、英語が頭に浮かばなかったので、押し黙っているしかありませんでした(笑)。
ガイドの目を盗んで、前のグループに潜り込んでは、さらに前のグループに潜り込むという行動を繰り返して、早々と自由の女神の中から抜け出す。
再びフェリーに乗り、マンハッタンへ戻る。
楽しみにしていたウォール街へ向かう。

ウォール街へ
ニューヨークのガイドブックには、五番街に関しては、ルイヴィトンやティファニーなど、事細かく載っているのに、ウォール街については、全くと言ってイイほどに何も記載されていない。金融ファンも少なからずいるので、せめて地図上に店舗名くらいは載せておいてもらいたいものだ。

ゴールドマン・サックス
本店

スタンダードプアーズ
本店


ゴールドマン・サックス
ウォール街から一歩離れたところに位置するゴールドマン・サックス本店。
以前に読んだ本「ゴールドマン・サックス」(早川書房)に書いてあったとおり、本店には標識がない。
確認のため、周辺にいた警備員に「このビルがゴールドマン・サックスですか?」と聞いてみたら、「そうだよ」と教えてくれた。
まずは、入り口のところで写真をパチリ。
続いて回転ドアに入る。目前に見えたのは身分証明書の提示とボディチェック。そのまま回転して外に出た。。。(汗)

ウォーター・ストリートを歩いているとJPモルガン・チェスとスタンダードプアーズ本店があった。

ウォール街

ウォール街

ウォール街の標識
ドイツ銀行内のサロンで軽い昼食
思っていたよりも細い通りでした。
道路の両脇にそびえるビルのおかげで昼間だというのに暗ったい。
僕の勝手な思い込みかもしれませんが、このストリートにいるとマネーに対する責任感が芽生えてきてしまうから不思議だ。
「信用の乏しい元の流動幅が急速に進んでいるが、この元をどうやって国際マーケットの中に取り込んでいったらいいだろう?香港ドルとリンクさせて段階的に進めるべきなのか?元とドルとの交換を続ければ、いづれドルの信用も崩壊する。うーん。何とかしなければいかーん!!!」
と、いきなり発想がグローバルになってしまうのだ。
(まずは自分の金を心配しろよと自分に突っ込みをいれる(笑))
繰り返しますが、ウォール街には、「世界経済を救うぞという使命感を急き立てる何か」が潜んでいました。

ドイツ銀行内のサロンで軽い昼食
ドイツ銀行の1階はサロンになっていたので、そこで軽い食事をしました。
相変わらず、サンドイッチは油でギトギトという感じでしたが、トロピカーナのジュースは日本の味と同じでサッパリ!!!
救われた気がしました。

ニューヨーク証券取引所

ニューヨーク
証券取引所

フェラデル・ホール・ナショナル・メモリアル
ウォール街をトリニティ教会の方向へ進むとニューヨーク証券取引所が現れる。
とにかくデカイ。星条旗もデカイ。まさに取引所の親玉。
数年前に東京証券取引所へ見学に行きましたが、その時の印象と比べると「これじゃ、日本はアメリカに勝てないな」と無条件に思ってしまう。
「物理的な大きさ」は時には強大な力になるみたいだ。
目に見えない大きなものを動かすには、人々を圧倒する目に見える舞台が必要ということかな。

フェラデル・ホール・ナショナル・メモリアル
ニューヨーク証券取引所の反対側にワシントン像が立っている。
アメリカの初代大統領、ジョージ・ワシントン。
アメリカ合衆国の行く末について何を思っていたのだろうか?

アメリカ連邦準備銀行

アメリカ連邦準備銀行
ドル紙幣発行の大御所。
固定相場制の時代に、ドルを印刷しすぎたことで、海外にドル資本が流出。膨大な量のドル紙幣が世界中に広がっていった。
中央銀行の役割は、買いオペ・売りオペにより、流通貨幣の調整を行うことであるとは、経済学でおなじみだ。
しかし、こんな理論は1970年代にとっくに崩壊している。
アメリカ連邦準備銀行は、海外流出したドルはおろか、国内のドルの流通もコントロールできる状態ではなかったのだ。
そして1985年のプラザ合意でなんとかドルは持ちこたえた。各国の大蔵大臣が集まって、話し合いでドルの価値を決めたのだ。

まぁこれは、表舞台のお話で、実際のところは、国家予算なんかを遥かに凌ぐお金持ちの方たち???に頼みに行って、このままだとドルの価値が暴落してしまうので、他の通貨に変えてくれませんか???と交渉した可能性もある。

かつてのイギリス政府は、スエズ運河の株を買うために、ロスチャイルドに金を借りている。
かつての日本政府は、日露戦争の資金調達のため、日本国債をロスチャイルドにさばいてもらった。
このような歴史の裏舞台は過去の出来事として終わったわけではなく、現在も至る所で繰り広げられているみたいだ。米国債は誰の手に?

周辺をクルッと一回りして、正面玄関を左手に真っ直ぐ進むと、グラウンドゼロが見えてくる。

グラウンド・ゼロ

グラウンド・ゼロ

グラウンド・ゼロ

グラウンド・ゼロ
前日、メトロポリタン美術館で様々な作品を観ましたが、皮肉なことに「ニューヨークが所蔵している作品とは言えない作品=グラウンド・ゼロ」に、一番ガーンと来てしまいました。。。
グラウンド・ゼロ、9.11について思うことを、うまく言葉にまとめることはとても難しい。考えるための素材がとても複雑だからだ。

ブッシュ批判の大御所といったら映画『華氏911』。エグイ映像とブッシュ批判のインタヴューの繰り返しに終始しているだけの映画。しかし、その中で気になったシーンがある。ブッシュ家とビンラディン家はつながりがあるということだ。アメリカ国内にいたビンラディン一族は、9.11直後に、アッサリと米国外に逃れているという。
ムーア監督には、こういうところをもっと突っ込んで取材してほしかった。
僕の勉強不足なのかもしれないが、ビンラディンは一体何を目指しているのかよくわからない。最終目標は一体どういったものなのだろう?現在、イラクで騒いでいるテロ集団の目的が何なのかもよくわからない。
テロを繰り返して世界の不安を煽って、それからどうするのだろう?
世界をイスラム一色にしたいのか?
アメリカ合衆国を滅亡させたいのか?
どんな政治体制を望んでいるのか?

テロ組織と交渉する余地は全くないが、その一方で彼らが何を望んでいるのかは、ぜひとも知りたいところだ。マスコミ統制の影響なのだろうが、ビンラディンに関する情報がなかなか表に出てこない。ビンラディンは今何を考えているのだろう?

素人的発想でいくならば、ビンラディンには、ホームページを用意してもらって、毎日、日記をアップしてほしいものだ。
ビンラディンはどういった理念の下にテロを起こしているのか、どういう状態になったらテロを止めるのか?そこのところをハッキリさせて欲しい。

ある本で読んだテロリズムの理論によると、
『陰謀やテロリズムでは、結局のところ歴史の流れを逆行させることはできないが、停滞させることはできる』という。
しかし今回のテロは、歴史の流れを逆行させるどころかむしろ、『これからの歴史の流れを作りだした』ような気がする。テロによって世界は停滞するどころか、ダイナミックに動き始めているのだ。

アメリカ軍はもとより、世界各国の軍隊が"何かしら"の行動を起こしている。それに付随する形で、軍事兵器、軍事物資の生産、セキュリティーシステムの整備。金融では、ツインタワーの崩壊で世界各国の中小保険会社が倒産。保険業界の合従連衡が進んでいる。これらはホンの一例にすぎない。
テロに対抗するという名目で、「人、物、金」がとどまること知らずにダイナミックに動き出す。そんな時代の引き金が9.11なのかもしれない。

チャイナタウン

チャイナタウン
グラウンドゼロを後にして、市庁舎の通りを北上すると、漢字看板が突如出現し、バッタ物の路上売り場が散在しだす。
黒いゴミ袋から、ルイヴィトンのバックを次から次へと取り出して、店頭に並べている光景が印象的だった。
ガイドブックに、「チャイナタウンでは用心していたのに4回もスリにやられた」という読者の一文があったので、神経を研ぎ澄ませました。

中華料理屋に入る。
お腹がペコペコだったので、中華料理の店に入る。
昨日、一昨日と食事には泣かされてきたので、かなりの期待!!!
中華ならば間違いないはずだ。
と思って注文し、出てきた料理を口にするや。。。大NG!!!
仏壇に10日間放置しておいて線香の匂いがこびりついてしまったような米!!!
まずくてとても食べられたものではなかった。
マーボー豆腐も、豆腐とグリンピースの取り合わせが最悪で、豆腐だけを取り出して食べる。何でニューヨークにまで来て、わがままな小学生みたいな食べ方をしなくてはいけないのだろう?
えび餃子は、油がギトギトで、二個目を口にしたときは気持ちが悪くなり、なかなか飲み込めない。

日本では数え切れないほどの飲食店に入っている。
振り返ると、量が多すぎて残したという経験はあるが、まずくて残す経験は一度もない。
この経験から判断するに、日本人は非常に料理の上手な民族なのだと断言できる。
日本には、まずくて食べられない料理を出すような店は一軒もない。
まずければ自然に淘汰される。
「安くて美味しい料理を提供すること」に長けている日本民族は、"料理の鉄人"ならぬ"料理の鉄族"に違いない。

リトルイタリー

リトルイタリー
チャイナタウンから道を一つを隔てると、バッタ物が姿を消し、がらっと雰囲気が変わる。
リトル・イタリーだ。路上にテーブルが並んで、みんな優雅に、ピザやパスタを食べている。中華でなくイタリアンにすべきだったと後悔。。。

サッカー不毛の地と言われたアメリカで、1994年のアメリカ・ワールドカップが大成功したのは当然といえる。
移民の国アメリカ。様々な人種が混在している。日常がワールドカップなのだ。94年のアメリカ大会では、ロベルト・バッジョがゴールを決めるたびにリトル・イタリーは大騒ぎしたに違いない。
2006年のドイツ大会で、中国VSイタリアというカードがあったら、道を一つ隔てて熱い戦いが繰り広げられることだろう。

ソーホー
リトル・イタリーを北上すると、ソーホーの町になる。
このあたりで地下鉄に乗り、グランドセントラル駅を目指す。

グランドセントラル駅
地下鉄を降りて、右とも左とも分からぬ状態で歩き進んでいくと、目の前にパッと劇場のような空間が広がった。
テレビでよく目にしていましたが、
「これが外国の駅というものか!!!」
と心底納得した瞬間でした。

天井の高さが半端ではない!!!
商業主義丸出しの看板は一切なし。
景観がスバラシイ。

こういう駅を日本にも造ってよ(って誰に言えば実現するんだ???)。

と、そこで思い出したのが大学4年生の時の就職活動。
明治生命の集団面接を途中で棄権(in 明治生命ビル・棄権の理由は明治生命が時間通りに面接を始めなかったため!!!40分も押してたぞ。まったく時間にルーズな会社だぜ。その後、保険支払いもルーズなことも判明する)。
そして東京駅に向かい、15:00に約束していたJR東海のリクルータと面接。

その面談の中で、僕は
「日本の駅ってゴチャゴチャしてるじゃないですか、ヨーロッパの駅みたいに、駅にいるだけで荘厳な気持ちになれる駅を造ってくださいよ」
と相手に言った覚えがあります。

このときは「荘厳な気持ちになれる駅」の具体的なイメージは全くなくて、漠然と話をしていたのですが、グランドセントラルに立った時に分かりました。

国際連合本部

国際連合・入口


「グランドセントラル駅以上の芸術的なステーション(駅)を日本に建設せよ!!!」

このミッションは僕の生涯のライフワークの一環として、とっておくことにします(笑)。

駅を出て国連に向かう

国連本部
「国連本部がニューヨークにあるということは、国連はアメリカの出先機関なのか・・・!!!」
と思わずには、いられなくなってしまうのではないかな。国連本部での会議に臨む各国の代表の方々は。

さて厳しいセキュリティーチェックを受けて中に入ると、雰囲気は近所にある総合体育館という感じでした。

ニューヨーク図書館
スパイダーマン(映画)の親父さんが、銃で打たれたシーンです。
ニューヨークを舞台にした映画ですから、どこかしらで必ず映画で観た建物に出くわします。
ニューヨーク図書館

その一つがニューヨーク図書館。
映画や本を沢山読んでおくと得しますね。
「知らなければ、何事もなく通り過ごしてしまった風景が、映画や本の記憶と結びつくことで、魅力的な感慨深い風景に一変する!!!」

ブロードウェイ
一日中歩いたのでもクタクタ。

ライオンキング

ブロードウェイ

歩いてホテルに戻ろうと歩いているとブロードウェイが見えてきました。
せっかく来たのだから、無理してでもミュージカルを見るか!と
『42ndストリート』の劇場に入る。
受け付けて
「当日券はありますか?」
と聞いてみると、チケットはすべてSOLD OUTでした。

残念というより、売り切れで助かったという感じです。
もし劇場に入っていたら、疲労で確実に寝ていたでしょう。

ラーメン札幌に入る。
ニューヨークに来て以来。常に食事で泣かされていたので
今回は、ホテルの近くの日本食レストランに入りました。
日本の居酒屋の雰囲気です。
醤油ラーメンと餃子を注文。

いゃ~。上手かったです。五臓六腑にしみわたるとはまさにこのこと。
回復しました。
そのままホテルに帰って就寝。

四日目へ

旅行へ