日記

日記(2007年9月〜12月)

2007/12/19(水)
歯医者に通い始めました。

カンボジアで欠けてしまった歯を治すため、歯医者に通い始めました。

かれこれ24年ぶりの歯医者です。

当初は、『歯医者は予約しなければならない。』というルールすら知らずに、いきなり歯医者の受付に行きまして

「今から診察してもらいたいんですけれど・・・」

と聞いてみましたところ、

「予約してから来てください!!!」

と、あっさりと断られてしまいました(笑)。

歯医者は、予約してからということを学びました。

そして、久々に歯科検診となり
まずはざっと口の中を調べてもらうと・・・。

虫歯がゼロでした!!!



2007/11/30(金)
ワット・アルン(暁の寺)


三島由紀夫の長編『豊饒の海』四部作※の中の第三部目の題名が、
ワット・アルン=「暁の寺」です。
ついに現地に来てしまいました。

って積読状態でまだ読んでいません。
現在、第一部「春の雪」を読み始めました。
「春の雪」は、映画もやってましたね。

※「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」



2007/11/18(土)
東京国際女子マラソン

四ツ谷駅を出たところに陣取りました。

沿道で隣り合わせになったオバちゃん2人組に
僕の携帯テレビでレースの状況を見せてあげました。



何故だか、かなりの意気投合。
毎年この場所で応援しているという。

テレビを見ていると、確実に僕のいる地点に
野口選手が近づいてくる。

いや〜。ドキドキでしたね。

そうこうしているうちに、先頭車両が見えてきて
野口選手がトップで通過!!!



隣のオバちゃんたちは、
僕らの沿道の近くでは最大級の大声で
「野口ガンバレー!!!!!!!」
と叫んでいました。


絶対にテレビのマイクに拾われているはずです。

初めて沿道でマラソンを見たのですが
なんといったらいいのかな。
目の前を通り過ぎるのは一瞬ですが、
その一瞬の光景を目にすることは、
「テレビでスタートからゴールまでジックリと走りを鑑賞すること」
とは全く違ったスリル・ドキドキ感がありました。
(想像力が掻き立てれらるのかな?)

野口選手が走り去った後、
隣のオバちゃんは
「やみつきになるの、わかるでしょっ!!!」
と大興奮状態。

外国人選手、渋井選手と通り過ぎ、
キリのいいところで、
「来年もこの場所で会いましょう!!!」
とオバちゃんたちと約束して、四谷を後にしました。

いや〜。楽しかったです。



2007/11/16(金)
ドライミルクの記憶

録画しておいた「たけしの日本教育白書(先月放送)」を
2倍速で見ていたところ・・・。

後半の方で
「※森永ひ素ミルク中毒事件」
についての特集が放送されていました。

これを観て「ああっ、このことだったんだ」と記憶が蘇ってきました。

小学2年生の道徳の授業です。
担任の先生が公害の被害のスライドを見せてくれました。

その中の一つに『ドライミルクの缶』が映し出され、
続いて、障害を負うことになってしまった方たちの写真が映し出されました。

小学2年生だった僕らには、かなりショッキングな写真です。

当時は「森永ひ素ミルク中毒事件」とは、つゆ知らず、
ただただ「『ドライミルク』は怖い」という印象を受けました。

そして、こういう時、子どもというのは本当に残酷で
怖いもの見たさという好奇心から、
道徳の時間になる度に、
クラスのみんなで「ドライミルク!!! ドライミルク!!!」と騒いで
先生に、スライドの上映を迫るということを繰り返していました。

こういった記憶が蘇ると同時に、
ずっと脳裏に焼きついていた単なる『ドライミルクの缶』の映像が
「森永ひ素ミルク中毒事件」の情報と結びついて化学反応を起こし、
グッと重みを増した感覚を覚えました。

子どもの頃は、分けがわからなくてもいいから、とにかく何でも見ておくべきだなと思います。

p.s.
ドライミルクを赤ちゃんに飲ませている場面を目撃すると、僕は今でも「ドライミルク飲ませて大丈夫なの?」と心拍数が上がってしまいます。

※森永ヒ素ミルク中毒事件とは、1955年6月頃から主に西日本を中心としてヒ素の混入した粉ミルクを飲用した乳幼児に多数の死者、中毒患者を出した食中毒の事件のこと。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



2007/11/09(金)
元ドイツ代表サッカー選手と遭遇!?

先日、渋谷・神泉駅近くの開花屋に行きました。
http://www.kaikaya.com/

新鮮な魚を、ややエスニック風にした料理が人気なのか
店内の55%くらいは外国人で埋まっていました。
「ここは外国か!!!」という雰囲気です。

楕円型の大型テーブルを囲む感じで、
僕の手前では、ドイツ人と日本人の男性ペアが、ドイツ語で静かに語りあっており、
左側では、アメリカ人男性1人とバリの女性2人の3人組が、英語でガヤガヤと話をしていました。

この3人組が、「おいしい料理はどれなの?」と
“ドイツ語ペア”と”僕”に声をかけてきまして、自然と会話が始まりました。

ドイツ語の日本人の方は芸術家で、ドイツに約8年間ほど住んているという。
そして、隣のドイツ人を指して「彼は元サッカー選手だよ。ナショナルチームのね」
と発言。

「ええっ!!!」
外見から推定される年齢として、この世代のドイツ代表選手は・・・。
マテウス、クリンスマン、ブレーメ、ブッフバルト、メラー、リトバルスキーの顔は思い浮かぶが・・・。
目の前にいるドイツ人はわかならい・・・。

アメリカ人が「お名前は?」と聞くと
「トーマス!!!」って答えていました。

「トーマス??? ダメだ聞いたことが無い・・・」

記憶しておき、帰宅してからネットで調べたら、
トーマス・ヘスラー選手でした!!!
MFの選手だよ〜。
「ヘスラー」って言ってくれたら分ったのに・・・。
ううぅ〜。サインを貰っておけばよかった・・・。

トーマスさんは、日本に来たら必ずこの店でご飯を食べるのだそうだ。

次に行くときは、サイン色紙を持っていくことにしよう!!!

※カペッロ監督も食べに来ています。



2007/11/08(木)
インテルvsナポリ(inミラノ)

ヴェネツィアから日帰りし、ミラノ中央駅に着くや
そのまま、イタリア・サッカーの聖地「サンシーロ・スタジアム」へ。

数年前に行ったヤンキース・スタジアム同様
スタジアム内は物凄い熱気でした。

いや、殺気立っていたといった方がいいでしょう。

ニューヨークのヤンキース・スタジアムの熱気には「野球を楽しむ」という雰囲気がありました。(いかにもアメリカ的!)
それに対して、イタリア・ミラノのサンシーロは「楽しむを通り越して」いましたね(笑)。
応援は、真剣そのもの。

僕は、2階席の一番前の席に座っていまして、
周りのインテル・ファンたちは、ゴールに迫ろうものならば、
一斉に立ち上がって、柵を乗越え飛び降りそうな感じでした。

こんな雰囲気の中で毎週試合をしているわけだから、
イタリアはサッカー強いわけですね。納得。


サンシーロ・スタジアム

クルスのゴールで先制!

イブラヒモビッチ



2007/11/07(水)
『ヴェニスの商人』シェイクスピア

『ヴェニスの商人』と聞いて思い出すのは、
中学3年の時に通った塾の英語の授業のこと。

英文和訳で
「シェークスピアの小説を読むと、どこかで聞いたようなセリフばかりが出てきます。なぜなら、世の中に流布している言い回しのほとんどが、シェークスピアから引用しているからです」
と訳す問題がありました。

そして、先生が補足説明みたいな感じで
「『ヴェニスの商人』の中で「この薄汚いユダヤ人め!!!」というセリフがある」
と言っていたのが非常に印象的でした。

こんないきさつがあってか『ヴェニスの商人』の内容は

「交易都市ヴェニスで、薄汚いユダヤ商人が、どん欲に金儲けをする話」
というイメージがずっとありました。

しかし、実際にヴェニス(ヴェネツィア)に行ったことをキッカケに
帰国後『ヴェニスの商人』を読んでみると・・・。

前半は、ややメルヘンチックに物語が進みますが
後半の裁判は、圧巻です!!!

刑事コロンボも警部補・古畑任三郎も
シェークスピアから引用したのではないかと思ってしまいました(笑)。

※小説より映画の方が入りやすいかも。


ヴェニス(ヴェネツィア)らしい風景

サンマルコ寺院

ヴェニス(ヴェネツィア)を一望!!!(夕立で天気わるっ)



2007/10/12日(金)
「今まで一番、よく見ている絵は何?」

と質問されたら、
僕は、「モネの『アルジャントゥイユの橋!』」
と即答できます。

僕の両親が結婚した際に、
仲人さんから絵をプレゼントされたそうで、
その絵がモネの「アルジャントゥイユの橋」だったんです。
(もちろん、レプリカですけれど。)

ゆえに、僕が生まれて以来
毎日「アルジャントゥイユの橋」を目にしていました。

自宅の「アルジャントゥイユの橋」

そして一昨年、フランス・パリのオルセー美術館を訪れたとき
とある一室に入ると、ひときわ輝きを放つ絵があるではないですか!!!

「えー!なんで僕の家の絵が、オルセーにあるの!!!」

という気分でした。本物がニセモノに見えましたね(笑)。


オルセー美術館(in パリ)

本物の「アルジャントゥイユの橋」

イタリアから帰国して、ニュースを見たら
この絵が、若者5人によって傷つけられたという報道が!!!

「僕の絵に何をするんだっ!!!」
という気分です。

以下は産経新聞のニュース
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モネ作品損傷の若者5人逮捕 「閉館後の侵入方法知っていた」
10月11日8時0分配信 産経新聞

【パリ=山口昌子】印象派の代表的画家、クロード・モネ(1840〜1926年)の傑作「アルジャントゥイユの橋」(1874年)が、パリのオルセー美術館で傷つけられた事件で、女性1人を含む若者5人が仏警察に逮捕された。当局筋が9日夕(日本時間10日未明)、明らかにした。

 詳しい人定は不明だが、5人のうち女性は同夜、犯行にかかわっていないことが分かり、釈放された。残る4人は犯行の事実関係を認めており、起訴される見通し。

 グループの1人と称する空調会社勤務の少年(19)が8日、警察に出頭。警察は9日朝、パリ近郊のイブリーヌ県で5人を逮捕したという。

 アルバネル文化・通信相は、グループの1人が「職業上の理由」で閉館後の美術館に入る方法を知っていた、と述べた。

 仏文化・通信省は7日、男女5人組が同日未明に美術館に侵入し、うち1人が逃走間際に拳で作品を殴った結果、橋の部分の右下に、横約10センチの傷が付いた、と発表していた。

 アルバネル文化・通信相は引きちぎられた場合より修復は「困難ではない」としている。

 5人は美術館に設置された防犯カメラに写っていた。

 6日の夜はコンサートなどが明け方まで開かれるパリ市主催の「白夜祭」だったほか、ラグビーのワールドカップ(W杯)でフランス代表が強敵のニュージーランドに勝ったため、数千人が市街に繰り出しており、街中がにぎやかだった。
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2007/9/29(土)
イタリア旅行の初日。(波乱)

朝10時。
チェックイン・カウンターで荷物を預け、エールフランスで成田からパリへ。
「パネルクイズ・アタック25で優勝すると、この路線に乗るのだなー」
と思いながら搭乗。パリまで約12時間の飛行。

・・・

機内食の後、座席前のモニターで
機内でミスター・ビーンを鑑賞。

「ミスター・ビーンズ・ホリデー」が放送されていました。
日本でも話題になったミスター・ビーン。
今まで見たことがなかったのですが、見てみると面白い映画でした。
「ビーンが、イギリスからフランスのカンヌまで旅行。道中で、カバンを無くしたり、無一文になったり、誘拐犯に間違われたりとドタバタが続き、最後にめでたし・めでたし」
というストーリー。

到着まで繰り返し3回ほど鑑賞してしまいました。

そうこうしている間にパリに到着。
すぐさま、アリタリア航空に乗り換えてローマへと向かう。

離陸するやいなや、ガラス窓の下に
エッフェル塔やルーブル美術館が広がり、2年前のパリ旅行が頭の中に蘇る。
しばらくすると、ハンニバルやナポレオンが越えたというアルプス山脈が見えてきました。
(※ハンニバル:レクター博士ではありません)
そして、ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に到着。
現地時間20:00で予定通りの到着でした。

荷物の到着ゲートへ移動し、
荷物受取場

「いよいよ本当のイタリア旅行が始まるな」
とワクワクしながら、旅行カバンのお出ましを待つ。

が・・・30分経過・・・。

1時間経過・・・。

おいおい、どうなっているんだー!!!

たまらず、サービス・センターに行く。

ここに集まってくる方は、皆さん荷物が届かない方たちのようで
先に居たブラジル人5人組は怒り狂っており、
「冗談じゃないわよ。荷物なしで、これからどう過ごせっていうのよ!!!」
みたいな感じで、係員に怒鳴りつけ、受付デスクのパソコンを殴っていました。

気持ち分かるなー。同感ですよ。

と、その一方で、イタリア人らしき人物は、順番待ちの列など全く無視して横入り!!!

並べっつーの!!!

さて、話は並んでいる列にもどりまして、
サービスカウンターにて

前には、偶然にも、僕と同じ便であって
カバンの届いていない日本人の若い夫婦がいました。
夫婦の順番が来まして、旦那さんが流暢な英語で対応している!!!

すかさず「僕も同じ便なので、一緒に調べてください!!!」
と、後ろから声をかけてみました。

「どれどれ見せてみろ」とフテブテしい感じの係員が
夫妻よりも先に、僕のカバン番号をチェックしはじめました。
(すっ、すみません・・・)

係員は、パソコンに何やら入力した後
「明日の9:40にまた空港に来な」と発言。
「それはないだろう!」と、旦那さんが割って入ってくれて、
荷物が見つかったら、滞在するホテルに届けてもらうように交渉してくれました。
最後に、
「すぐにカバンが見つからなかったら日本に送り返すから、日本の住所を書け」
というので、とりあえず渡されたメモ用紙に記入。

僕の方が日本人夫妻より先に、手配が済んでしまいまして
「ありがとうございました」と御礼を言って、その場を後にしたのでした。

さて、やっとのことでイタリアに入国なのだが、
身に持っているのは、ウエストポーチに入れておいた
「パスポートと現金とガイドブックとカメラのみ」(※ホテルは予約済み)

先行き不安の状態で、イタリアの旅が始まることになってしまいました。

夜11時近くのローマ市内へと向かう全く人気のない電車の中で
「この展開はミスター・ビーンと同じじゃないか!!!」
とフト思い、自分で大ウケしてしまいました。

さてどうなることやら・・・。



2007/09/04(火)
戦争を知らない子どもたちさ〜。

先日NHKで、若き頃のジローズが、独特の棒立ち状態で
「戦争を知らない子どもたちさ〜♪」と歌っていました。

この残像がヤケに残っていまして、
気がつくと口ずさんでいます(笑)。

先日、西武球場で「西武ライオンズvs楽天イーグルス」を観戦。
試合終了後、帰りのバスに乗り込んで
「戦争を知らない子どもたちさ〜♪」
と、頭の中で歌っていると・・・

僕と同じくライオンズのユニフォームを着た子どもたち約7名が
バスに乗ってきました。

そして子どもたちは、ジャンケンを開始!!!

初めに、「せーんそっ(戦争)」と声をかけて、
「(チョキを出しながら)ちょうせん♪ちょうせん♪ぐんかっ!(グーを出す)」
「(グーを出しながら)ぐんか♪ぐんか♪ハワイっ!(パーを出す)」
そして勝負がついて「ギャハハー」と大騒ぎ。
非常に楽しそうに、子どもたちがジャンケンをしていました。

「そういえば小学校の頃、この掛け声でジャンケンをしていたな〜」
と懐かしく思いましたが・・・
よくよく考えてみると、このジャンケンの意味は深いですね。

・グー → ぐんか♪ → 軍化 → 軍国主義
・チョキ → ちょうせん♪ → 朝鮮 → 朝鮮戦争
・パー → ハワイ♪ → 真珠湾攻撃

という意味合いが隠されています!!!

いったい誰が考え、誰が広めたのだろう?
「戦争を知らない子どもたち」が、
「"せんそう"というジャンケン」の持つ意味を全く知らずに無邪気に楽しんでいる。
(知っていたらごめんよ)

なんとも滑稽な状況ですね。

と、こんなことを考えていたら

「戦争など全く考えたこともないような風貌の30代前後の男」が
(考えていたらごめんよ)
「うるせー!!!」と、どなり声を挙げました。

一瞬にしてシーンと静まりかえり、
バス内は重苦しい沈黙を保ったまま終点に着いたのでした。




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