日記

日記(2002年9月〜12月)

2002/12/16(月)
ヒトラーの話から

最近、ヒトラーの話が僕の周辺で出てきていました。
そんな文脈もあってか、今フト思いつきました。

連合国は、どうして戦争中に
強制収容所までの輸送線路を爆撃しなかったのだろう?

もし輸送路を遮断していたならば、
もっと多くのユダヤ人が助かっていたかもしれない。
・・・
まずは、こういう"問い"の仕方が重要です。

経済不況のドン底にあったドイツが
あれだけの公共事業と軍備拡張ができたのは、
どこかからの莫大な投資があったからに違いありません。

こういうところから歴史の真実が見えてくるかもしれません。



2002/12/13(金)
物事を見る視点を変えたい。


最近は、デジカメを持ち歩いています。
持つことによって、
物事を見る視点が変わってきます。

出勤の電車の中や、
下車してから会社までの道のり、
帰宅途中の寄り道場所などで、
「何か面白いことを撮ってやろう!」
と、常に目を見張らせています。

デジカメ1つで世の中変わります!
価格は、3万5000円。
安いもんだ。



2002/12/09(月)
サポーター投票は何だったのだろう?

前回の民主党代表選挙には、サポーター制度がありました。
関心のある人たちが、お金を払って投票したのです。
しかし、あっという間に、鳩山さんは辞任してしまいました。
そして、今度の代表選挙では制度が変わりまして、
投票権を持つのは、現職の議員だけのようです。
いったい、サポーター投票は何だったのだろう?
「ただの金集めだったのか・・・」
と、思われても仕方がありませんよね。



2002/11/22(金)
講師としてデヴュー

某女子短大で講師をしてきました。

会社の先輩の前で、一回予行練習をしました。
さらに、家族の前で直前リハーサルも行いました。
それゆえ本番は、
ほぼ完璧に近い内容の講義ができたと思います。
自己満足の世界ですけれどもね。

女子短大生が53人もひしめく教室。
しかも18、19の女の子が大半。
中には、社会人を辞めて再び学びの場に
戻って来た30代の方々もいました。

30代の学生っていいですね。
不思議な魅力を感じてしまいました。

さて授業はといいますと、
以下の人たちの顔写真を印刷し、
資料として使いました。

織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、徳川家康、
ケネディ大統領、ジョンソン大統領、アポロ月面着陸、
ニューヨーク・テロ事件、ビン・ラディン、サダム・フセイン
金正日

このページで述べてきたことをまとめて
「情報とは何ぞや?」
とかなんとかいったことを語ってきたんですね。



2002/11/18(月)
特許文章を読んでます。

ここ数週間は、仕事の関係で
アメリカの特許文章をべらぼうに読んでいます。
英語付けの毎日です。

率直な感想
「特許って意外に簡単に書けるものだな」

そこで一つ思い浮かんだことがあります。

小学校や中学校で
“特許の申請書を書く授業”
をやってみてはどうだろう?

どんなに些細な発明でもOKです。
イマジネーション溢れる発明をするんです。

そして毎年、何百通もの特許申請書が
授業をつうじて作られて、それらの特許が
学校または自治体に蓄積されていきます。

そして10年、20年と続けてみましょう。
もの凄い数になっていきます。

そして、ある日突然、特許が功をそうして
ガバッと特許料が入ってくるんです。
そのお金は個人と自治体で山分けです。

ただし日本の特許申請は一件につき、
弁護士に頼むと100万円、自力で書いたら5万円と
非常に高いのがネックになっています。
ちなみにアメリカは、日本円で3000円くらいだったか…。



2002/11/11(月)
「織田信長を殺したのは、誰でしょう?」

僕が中学校の先生だと仮定してみまして
社会科のテストで、次のような問題を出したとします。

「織田信長を殺したのは、誰でしょう?」

ここはセオリーどおりに行きますと、
明智光秀!
ということになります。

しかし、生徒の中に次のような答えがあったとしてみましょう。

答え…堺の商人

・・・!!!

なるほど!!!
楽市・楽座政策によって利権を奪われつつある
大富豪の堺の商人たちにとって、
最も邪魔な存在は織田信長です。

信長が死ぬことによって、一番特をするのは誰か?

堺の商人以外にはありえません。

影で信長と光秀の中を操り、
光秀に謀反を起こさせる…。
そして秀吉に天下を取らせて
大坂城の建築など
公共事業を次々に行わせる…。

信長、秀吉、家康の時代は、一見すると大激動の時代ですが、
堺の町・大坂の町は、その繁栄を変わりなく保ち続けていたのです。
時の権力者という表の世界を操作することによって。

と、またまた勝手な想像でした。



2002/11/05(火)
短期大学の講師をすることに

「某短期大学の講師」をすることになりました。
といいましても、転職したわけではありません。
僕の勤めている会社に、講師の依頼が来たようでして、

「大勢待くん、講師をやってみない?」

と、上司からミッションを受けることになりました。

教職の仕事もしてみたいと思っていましたら、
なんとまぁ、勝手にチャンスが転がり込んできました。

授業の内容は
「情報科学」という題目のようですが、
この枠に捕らわれず、
イマジネーション溢れる講義にしたいと思います。

さて、一時間半、何をしゃべろうかな。



2002/10/24(木)
大勢の人が見ていたとしても

「僕らの生まれてくる、ずっとずっと前にはもう・・・」
で思い出したのですが、
アポロ11号は月に行っていないという説があります。
アポロの月面着陸の映像は
どこかのスタジオで撮影したという噂です。

月面着陸が本当であったか嘘であったかなんて、
ハッキリ言ってわかりません。
しかし一つだけよ〜くわかったことがあります。

全世界の人々を騙すことなんて、いともたやすい

例えば、JFK。
ケネディ大統領は、全世界の人たちが見ている前で殺されました。
いいですか、
ケネディ大統領が殺される瞬間を
何十億もの人たちが目撃しているんですよ。

しかし、犯人は誰だかわかっていないんです。

何らかの力で、真実は簡単にヤミに葬られてしまうんです。



2002/10/20(日)
"小局的な欲"と"大局的な欲"

人間の欲望には、
"小局的な欲"と"大局的な欲"があるそうです。

例えば、前者ならば、
いい車に乗りたいとか、
お金が欲しいとか、
女の子にモテタイとか、
個人的な欲望のことです。

一方、後者の大局的な欲。
例えば、
「日本国の憲法を作る」
「米軍を日本から撤退させる」
「日本の経済を立て直す。
 特に金融システムは抜本的な改善が必要だ」
「日本の文化を再興し、世界に発信する」
「EU、アメリカに匹敵するアジア共同体を作る」
「ワールドカップで日本を優勝させる」
「韓国と北朝鮮の統一に一肌脱ぐ」
などなど、
多くの人々を活性化に導くようなダイナミズムを求める欲望です。

そして大局的な欲を持ちつづけて、
日々行動していれば、
しかるべき人に出会うことができて、
しかるべきことを実現できるという。



2002/10/17(木)
白のスーツ

男が白のスーツを着て歩くと、
みんな矢沢永吉の真似になってしまいますが、
女性の場合にはそうはなりません。
しかし、
僕は白いスーツの女性を
「矢沢な女」と心の中で呼ぶようにしています。



2002/10/16(水)
イマジネーションが枯渇していくような感覚

コンピュータ業界に入って半年になりますが、
この業界にずっといてはいけないと
確信するようになってきました。
イマジネーションが枯渇していくような感覚が
日増しに増大しています。
このまま毎日コンピュータと向かい合っていたら、
自分がとてもツマラナイ人間になっていくような気がします。
いや絶対そうなります。
(職が合っていないともいいます)

プログラムというのは結局のところ、
頭を使っているようでいて、
全く使っていません。
コンピュータ言語という閉じられた世界の中で、
思考を重ねているにすぎません。
小学生が、それ以外の世界を全く知らずに、
算数の計算を永遠と続けているような状況とでもいいましょうか。

もっと頭の中を自由にしなきゃだめだ!
と、僕の脳みそが悲鳴をあげている気がします。

やりたいことは、もう十分わかっているし、
人生一度しかないんだから、早く勝負に出ちゃいなよ!
って、気分です。



2002/10/06(日)
ガダルカナル島とサイパン島に行きたい。

NHKの深夜番組
「緑の島々が戦場になった」(だったかな)
を見て、ガダルカナル島とサイパン島に行ってこようと思いました。
僕の中の「戦争観」とでもいうものを見直すためです。
太平洋戦争で、140万人の日本人が、
太平洋の島々で亡くなっています。
ガダルカナル島の2万1千人の玉砕。
サイパン島の4万1千人の玉砕。
ペリリュー島で76日も、
洞窟の中で持久戦を強いられ自決していった兵士たち。
過酷な状況の中で“未来の日本のため”に戦いました。

大げさかもしれないけれど、
その彼らの気持ちを裏切らない為にも、
僕は何かをやらなければならないと思っています。
日本人として生きていく知恵みたいなものでしょうか。

僕の中の感覚にしかすぎませんが、
日本の歴史の中の「第二次大戦」の位置付けが、
少しずつ変化しているように思います。



2002/09/22(日)
僕はサイクル・ヒットを達成したことがあります。

土曜日の中日vs横浜で井端がサイクル・ヒットを達成!
サイクル・ヒットといいますと、
東京都西多摩大会の決勝戦で
僕もサイクル・ヒットを打ったことがあります。
小学校5年生の時です。
センターで2番バッターでした。

1打席め
ちょっと芯をハズれた当たりそこないでしたが、
フラフラっと上がった打球はレフトの前に落ちました。
俊足をいかして2塁をゲット!

2打席め
初球をタタいたら、
ピッチャーの股を抜いて一直線に
センター前に転がっていきました。
クリーン・ヒット。

3打席め
ツーアウト満塁で打順が回ってきました。
バッター・ボックスに入る前から、
打てるような気がして仕方がありませんでした。
一塁側に一度ファールを打った後の
5球目だったでしょうか。
ショートの頭を超えて左中間を抜く
ライナー性の当たりをカッ飛ばす。
3塁打!

4打席め
これまた打席に向かう途中、
打てるような気がしてどうしようもありませんでした。
――案の定、
初球をおもいっきり叩いたら左中間を抜く大きな当たり!
ランニング・ホームランでサイクル・ヒット達成!

5打席め
カウント2−3で、外角のボールを見逃しして三振。
バットを振っていたらライト前にヒットを打っていたと思います。
絶対にです。
審判の判定がおかしい!

野球をやったことのある人ならば誰でもわかると思いますが、
どんなボールが来ても打てるような
気がして仕方がない時があります。
心技体が完璧な時とでもいいましょうか。
この感覚が僕の中に記憶されているので、
スポーツをする際、
最高のパフォーマンスを見せるには
どんな精神状態・どんな健康状態になっていればいいかが
自分でわかるようになっています。



2002/09/20(金)
寝る前に死ぬ覚悟

「死ぬ覚悟があるのならば、何でもできる」
というのはおそらく嘘でして、
「死ぬ覚悟があるのならば、死を受け入れやすくなる」
というのが本当なのではないかと思います。

織田信長は本能寺で「さて、ひと寝りするか」
と思って布団に入ったと思います。
そしてその夜、
明智光秀の目覚まし時計で無理やり起こされて、
それと同時に自害に追い込まれました。
僕は今から、何気なくベッドに横になって眠るわけですが、
目覚めと同時に、自宅が敵(どんな敵だ?)に囲まれていたら、
どんな精神状態になるのだろう?

と、まったく役に立たない想像でした。



2002/09/15(日)
大学の同期の結婚式

今日は大学の同期の結婚式でした。
代官山の教会での挙式とレストランでのパーティー。
新郎新婦の両親と友人だけを招待した
実にアット・ホームな結婚式でした。
大学のゼミ仲間やサークルの友人とも
久々に会えて楽しかったです。

結婚相手の女性はスチワーデスでして、
会場は女性でいっぱい。
有料制の合コンだったら高くつくでしょうね〜。
って僕は今まで一度も合コンと名のつくものには
いっさい参加したことがありませーん。

さて肝心のスッチーですが、
会場は新郎側の友人と新婦側の友人とで
真っ二つに分かれてしまいまして、
会話する機会すら無し!
二次会進行係りのA堀くーん!
もっと出会いの広がる企画にしてくれよっ。
とは言いつつも、
仲人役で一次会に来ていました朝日新聞社の方
(ニュース・ステーションでコメンテーターをしていた人)
と話ができたことは収穫あり!
現在、東京の多摩地区にいらっしゃるそうですから、
今後いろいろとお世話になりそうです。



2002/09/14(土)
矢沢のコンサート。
東京スタジアム。



2002/09/13(金)
10年ぶりの京都。

10年ぶりに京都へ行きました。
高校の修学旅行以来です。

金閣寺
10年前、
鹿苑寺を参拝した時には金閣の前に、
立て看板がありました。

「この建物は金閣寺ではありません。鹿苑寺の金閣です。」

しかし、今日ではすでに撤去され、
“鹿苑寺の金閣”は“金閣寺”になっていました。
京都のガイドブックにも、
道路の標識にも、
バスの停留所の名前にも
“金閣寺”という名称が使われていました。

それもこれも、
三島由紀夫の「金閣寺」の仕業に違いありません。
僕のパースペクティブも「金閣寺」に支配されていまして、
ホンの一瞬ですが“金閣寺”に放火したくなってしまいました(笑)。

銀閣寺
小学校の図工の時間を思い出しました。
クレヨンで絵を書く授業でした。
僕の席の前には、仲良しの二人組がいました。
書いていたのはアラジンの魔法のランプだったでしょうか。
一人の子は銀色のクレヨンを持っていたので、
その銀色でランプを塗りたくっていました。
しかし、何故でしょう?
銀色なのにどうしても銀色ランプには見えませんでした。

――それに対して、
もう一人の子は、ねずみ色でランプに色をつけていました。
その使い方は実にみごとなものでした。
ねずみ色が画用紙の上で銀色に変わっていました。
僕の中の銀色というイメージが塗り替えられてしまった感覚は
今でも覚えています。
銀色ではなくても銀色を演出できるのです。

物理的には銀色は銀色でしかありえないけれども、
イマジネーションの世界の銀色は
銀色ではなくたって全然構わないのです。

銀閣寺には“銀”が全く無いのですが、
何故か銀のようなイメージを体感することができました。

どうして銀閣寺には銀箔(ぎんぱく)が
貼りめぐらされていないのかといえば、
「室町時代の末期には幕府は財政難を抱えており、
 銀を用意することができなかったからだ」
ということが定説です。
しかし、僕は新たな定説を提案します。
「銀閣を表現するのに銀はいらないんです!」
この方が、文化水準が高い気がしませんかねぇ。

p.s.“金閣寺”につられて、
慈照寺の銀閣も“銀閣寺”になっていました。

清水寺
おみくじがあったので引いてみました。
結果は吉。
しかし“待ち人おそし”と書いてあったのでちょっと不満。
清水の舞台で記念写真をとった後、再びおみくじを引きました。
ちなみに清水の舞台っていうのは観客席がありません。
それは何故といいますと、
清水の舞台というのは
天の神様に舞を披露する場所だからなのです。

さて、二回目のおみくじですが・・・
なんと!凶!と出た。
当然“待ち人こない”。
それならばと、清水寺の本堂と縁結びの社でお参りをして、
再びおみくじに挑戦!
三回目にしてみごと大吉を仕留めました。
何事も当たりが出るまで繰り返すことが重要ですね。
おみくじにしろ人生にしろ。

三十三間堂
いわずもがな、
およそ千体もの仏像がズラリと並べられています。
中学や高校の合唱祭で、
全クラスの生徒が舞台に整列して、
一人一人が仏像に変身したら三十三間堂になります。

ちょっとクラシックに詳しい人ならばわかると思いますが、
この仏像さんたちにオルフの「カルミナ・ブラーナ」を
合唱してほしいと思いました。
雰囲気が、この曲なのです。
まぁ実際に仏像さんたちは歌えないにせよ、
一度、堂内に「カルミナ・ブラーナ」を
大音響で流して欲しいものです。



2002/09/12(木)
京都に行くことにしました。

目覚めた瞬間、
「銀閣に行きなさい!」
という天からのお告げがあったので、
京都に行くことにしました。



2002/09/10(火)
世田谷美術館のミロ展に行きました。

大学3年の時(今から4年前)、
ミロの絵を部屋に飾ろうとしたことがあります。
新宿の東急ハンズの1階にある壁紙売り場で、
あとはレジに持っていく寸前までいきました。
しかし、レジの直前でクルリと向きを変えて、
元の場所に戻してしまいました。
うーん。どうしてだろう?



2002/09/08(日)
矢沢永吉のコンサートに備えて

コンタクトレンズを新しいのに変えました。

うわさの街角、RUNAWAY FREE!



2002/09/05(木)
“レトリック論・共通感覚論”の授業

韓国語講座を見ていましたら、
「授業中に携帯で話をしている学生がいる」
という話題が出ていました。

それを聞いて僕は、
大学4年生の時に選択していた
“レトリック論・共通感覚論”の授業を思い出しました。
この授業の携帯電話のルールは
初回のコマで説明されていました。

「携帯の電源は切っておくこと。
 もし携帯の着信音が鳴ったら
 その時点で教室から出ていってもらいます。
 いい訳があるのならその時に言ってください。」
 
そして、3週目の授業のことです。
電源を切り忘れたか、
はたまたマナーモードに変え忘れていたのでしょう。
ある女の子の携帯がシーンとした教室に鳴り響いてしまいました。
その瞬間,
教授は
「はい、ルールなので教室から出ていってください」
と彼女に告げました。

そこですかさず僕は待ってましたとばかりに

「ちょっと待った!」

と声を上げました。

「先生、ちょっとだけ外で待っていてもらえますか?
 いい訳があればいいんですよね?」

とお願いして、教室から席を外してもらいました。

教授に廊下で待ってもらっている間に、
僕は教室の約50人の学生に向かって
次のようなことを言いました。

「みんなでグルになって着信音は聞いていないことにしよう。
 先生の聞き違いということにしてしまおう!」

さて、教授に戻ってもらいまして、
僕は教室の学生一人一人に質問しました。

「教授は、携帯の着信音を聞いたようなのだけれども、
 君は聞こえたかい?」

「聞いてないです」、
「着信音なんか聞いていないよ」、
「知らない」、
「いつ鳴ったの?」

・・・などなどと答えが返ってきました。

そして最後に、僕は教授に向かって

「先生、この教室の誰一人として、
 ○○さんの携帯の着信音を聞いた人はいないようです。
 先程、先生には聞こえたそうですが、
 その根拠はいったい何でしょう?
 根拠を立証できなければ、
 ○○さんが教室から出ていかなければならない理由
 はないですよね?」

と言い放ったのでした。

この発言に対して、
“レトリック論・共通感覚論”の教授は・・・。

・・・・・・

というところまで頭の中でシミュレーションをしたのですが、
結局、僕は黙ったまま事の成り行きを見ていただけなのでした。
当然その女の子は教室から渋々と退場していきました。

あの時、上記のような行動に討って出ていたら
どうなっていたのだろう?
未だに未練があります。



2002/09/04(水)
どのような進路を子どもに期待

今日Yahooニュースを読んでいたら、
「高校生17歳、飛び込み自殺」
という記事がありました。
中央線の武蔵境あたりです。
「4万5000人の足に影響が・・・」とありまして、
僕もその4万5000の中の一人でした。

この事件のいきさつです。
その前日、「声優になりたい」と、
この高校生は親に進路相談をしていたようです。
しかし、猛烈な反対にあってしまいました。
そのショックが引き金となりまして、
翌日の夜10時あたりに、
このような結末となってしまいました。

自殺するくらいなら、
その前に“声優”になってしまえばよかったのに…。

それにしても
「声優になりたいという夢を親に反対されたから自殺する」
というのはどうも腑に落ちません。
「コンビニでシュークリームを買うことができなかったから自殺する」
といった文章と同じくらい不自然な感覚を覚えてしまいます。
それと気になるのは、なぜ親は反対したのだろう?
そしてどのような進路を子どもに期待したのだろうか?
謎。



2002/09/02(月)
顔っていうのはパワー持ってます。

無責任な言い方かもしれませんが、
30歳を過ぎてから魅力があふれ出てくる女性って
いいなと思っています。
ひと月ほど前、
NHKの深夜放送で広瀬香美さんのライブを見てからというもの、
惚れちゃいました。
素敵です。
彼女は現在30代。
そして、一昨日だったかな。
またもや深夜にカウントダウンTVを見ていましたら、
「ロマンスの神さま」でデヴュ―した当時の彼女がVTRで登場。
比較してみますと、
30代の広瀬さんの方が、
断然勝ってます!
輝いてます!

そうかと思えば、
20代の時に一度も心の底から笑ったことがないような
顔をしている30代もいますよね。
この顔には、就職活動をしている時に出会いまして、
背筋がゾッとした記憶があります。
顔っていうのはパワー持ってます。
某証券会社です。
もちろん内定は辞退させていたたきました(笑)。

さて僕はどうかといいますと、
んー。
いい30代になれるような予感だけはあります。
それに最近、老若男女を問わず
「NICE GUY!」
って言われることが多くなったし(笑)。




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