日記

日記(2002年1月〜4月)

2002/04/30(火)
ラディンはどこに

オサマ・ビン・ラディンはどこに行ってしまったんだろう?

仮にビン・ラディンがこの世からいなくなったとしましょう。
それによって、アフガンの人たちは
心の底から世界に感謝しているのだろうか?
感謝しているのは、
金と横流しできる闇商人だけなんじゃないだろうか?

そもそもアフガンの人々にとって、
民主主義というものがどれだけ意味のあるものなのだろう?
この一連の空爆で命を失った大多数のアフガン人は、
アフガニスタンとは何を意味しているのかを
理解していたのだろうか?
国家というものの意味。
いや、こんなことを知っていようがいまいが構わない。

とにかく、理念以前に、
地球上のゴタゴタを片付けることが大切だ。

しかし、こんなことはとうてい不可能だと
思っている人が沢山いるし、
紛争が消えて無くなってしまっては困る人も沢山いる。
どこかで読んだビン・ラディンの言葉。

一国民としてのアメリカ人に告げる。
兵士の母たちに、
一般のアメリカの母親たちに告げる。
自分の命と子供たちの命を大切に思うなら(中略)、
自らの国益を求めて、
他人、他の土地、他人の名誉を攻撃しない、
まともな政府を求めよ。
それがアメリカ国民への私のメッセージだ




2002/04/29(月)
銀行口座

今日は、妹が、

「新たに銀行口座を作りたいのだけれどもどこがいいか?」

と、話しかけてきたので、

「○○○銀行は絶対に止めておけ!」

と忠告してしまいました。

僕が大学4年生の時のこと。
就職活動で面接したリクルーターが最悪だったんです。
就職活動中にいろんな人に会いましたが、
この銀行の行員が僕の中ではダントツのワースト1。
思い出すと今でも気分が悪くなってきます。
ああいう人間が今後、
この銀行の幹部になっていくとなると、
○○○銀行はもうだめだなぁと思ってしまいます。
もちろんイイ人もいるのでしょうけれども・・・。

たとえ大銀行であったとしても
行員の1人1人の接客が大事です。
こうして一人の人間が公言して評判が
次から次に広がっていって、
○○○に預金をする人が減っていって潰れてくれないかなー。
なーんて、ささやかな復讐。



2002/04/25(木)
頭の良さ

つい先日、
飲み会の席で中学校でのテスト点がどうだったの
という話をする機会がありました。
ハッキリ言ってこういう話は好きではない。
『あの子はテストで100点とったんだって、頭良い!』
というのもいいんですけれど、
与えられて用意されたものを学習してクリアする頭の良さは、
どうも不健全な気がしてしまいます。
それよりも、
あの人はこんなに自由な発想や自由な行動ができるんだ、頭良い!
という方が健全です。

小学校、中学校を振り返ってみると、
与えられた問題を解くことに血眼になっていて、
自ら自由な発想をすることがありませんでした。

あの教室にいた僕の周りの子たちは、
一体何を考えていたのだろう?
あいつはこんなことを考えていて、
僕はこんなことを考えている。
それらの考えを取り交わす機会が無かったなぁ。



2002/04/24(水)
会社務めがスタートの4月

毎朝6時に起床して、スーツに袖を通す。
電車の中で英会話のMDを聞いている。
そして7時半に新宿駅に到着。
エンポリオアルマーニの看板の前の
スターバックスでホットココアを買って、
日経新聞に目を通す。
大した意味はありませんが、
マーケットの動きをチェックしておきます。
8時半に出社。
ミスをせずにキッチリと仕事をします。
仕事が終わったら、
映画館に行ったり、
小説を書いたり、
彼女とデートをしたり・・・。
という、
村上春樹の小説に出てきそうな生活をしようと考えていましたが、
1日で挫折してしまいました。



2002/04/22(月)
情報公開の時代へ

このところの政局は、
秘書の給与のピンハネや業界からの裏金など、
次から次へと汚職話が続いています。

まっ、情報公開が当たり前になる時代への
通過儀礼とでも考えておけばいいことなのかもしれません。
もちろん、国政に限らず、地方政治も同じです。
政治家のみなさん!
「私は、こうやって政治資金を得て、
こうやって使って政治をやっています!」
って胸を張って情報公開しましょう!



2002/04/21(日)
ITを利用して市民生活に

今日は、青梅市に在住する人たちと市民センターに集まって、
『ITを利用して市民生活に何か役に立つことはできないか?』
ということを話し合いました。

70歳の方から26歳まで、
世代を超えて議論ができて、
なかなか有意義な時間でした。
今後、これらの話を具現化していくマネジメントが
大変だとは思いますが、
まずは、議論をするということが重要です。
おっし!イッチョ、やったるで!という気分です。



2002/04/18(木)
学校週休2日制

そういえば、少し前の新聞に
『学校週休2日制 不安 スタート』
という見出しがありました。

この見出しを書いた記者に問いたいのだが、
一体誰が不安を感じているのだろう?
僕が小学生や中学生だったとしたら、
とても嬉しいことだと思うんですよね。

ちょっと問い方を変えてみまして、
予想される不安というものが現実となった場合
どのような事態になるのでしょう?
・・・学力の低下?

週休1日の義務教育を受けてきた世代の人たちが、
たとえ週休2日制のシステムの中で育っていたとしても、
結局は今と同じ人生を歩んでいるのではないかと思います。
学校の授業が週に1日多いか少ないかくらいで、
人生が大きく変わってしまうようならば、
もうその時点で学校の有り方自体が問題です。


2002/04/15(月)
高校生に説教をしてしまいました。

今は4月なんですけれども、3月の話題。

今年で学生生活にピリオドを打つことになったので、
弥生の月は卒業旅行ならぬ、卒業バイトをしていました。
学生の頃にあまりやっていなかったバイトを一月ほどしました。

そこで、印象に残っていること。

どこかの昼ご飯で一緒になった高校生が

「こういう仕事は頭を使わないからいいっすよね」

と言っていました。

僕は、この高校生に説教をしてしまいました。

「頭を使わなくてもいい仕事というのは、
裏を返せば仕事中でも仕事以外のことにいくらでも
頭を使っていていいということなんじゃないかな。
毎日、こうして警備員をして8時間ボケ―っとしているのと、
頭を働かせているのでは全然違うよ。
何かを考えながら働いていれば、
以前の自分とは全く違う自分に変化していくんだ。」
といった感じだったかな。

なんかフト思いだしました。



2002/04/14(日)
公的資金による金融秩序の回復

プロバイダーの変更が終わりまして、
今日からまた日々思ったことを書き綴っていこうと思います。

つい先ほどまで
「巨大銀行100日闘争」
という番組を見ていました。

そこで、あさひ銀行の頭取が、
「公的資金による金融秩序の回復は誰が考えても当然のことだ」
と発言していました。

そこでフト思ったこと。

無くなるはずもなかった世界貿易センター・ビルが崩壊しても、
アッという間に秩序が回復してしまったように、
銀行も一つや二つ潰れたって、
結局のところ一時的な騒ぎだけで、
金融秩序はチャンと回復するような気がします。

公的資金の投入はやむをえない選択

というのならば、

公的資金のやむをえない廃止

という議論もあっていいはずです。

それにしてもADSL回線は速い!



2002/04/01(月)
社会人生活がスタート

長かった学生生活が終わり
いよいよ社会人になりました。



2002/02/16(土)
歴史教育の目的

歴史教育の目的は、
歴史上の日付や事件の丸暗記をすることでは
決してありません。
もちろん基本的な用語の記憶は必須です。
しかし事細かに、いついつに戦争があったとか、
将軍が戴冠を受けたとか、
(たいして重要でない)封建領主などを、
正確に知っていようがいまいがどうでもいいのです。

僕が体験してきた教育を通じて、
このことを自覚して語ってくれた教師が
まことに少なかったように感じています。

歴史を「学ぶ」ということは、
現在までに記録されている歴史的な事件を引き起こした原因
について考えることであると思います。

例えば、織田信長。
彼は現代歴史教育という枠に完全に閉じ込められています。
桶狭間の戦い、安土城、楽市楽座
という“知識としての信長”に成り下がっているのです。

信長を学ぶ上で本当に大切なのは、
現代に生きる人間が、
歴史の知識を全て頭に叩き込んで、
信長の時代に行ってみたとしても
天下を取ることは決してできないという事実です。

そうであるならば、
信長を駆り立てた力とはいったい何なのだろうと考えてみる。
そして、その力を考察して体感することが
歴史教育の醍醐味であると私は考えています。



2002/01/26(土)
変なシステム

どうも僕らは変な世界に住んでいる。
会社名、学歴、ルイヴィトンなんかを
持っていれば一流だと思われる。
くだらない。

こういったものが必要とされる空気は
自然に出来上がるものではない。
人為的に作り出される。
何度も何度も繰り返し、
情報を流し続ければよい。
すると誰も必要としないものが必要なものとして認識されていく。
誰もが必要だと信じ込んでしまう。
そして、それを支えるシステムが形成されていく。

このシステムはある種の人たちに
「他の人たちとは違うんだ」
という感覚を与えるようになる。
「私はみんなと違う」と思う。
しかし、そう思うことによって
結局みんなと同じになっていることに気がついていない。

想像力の欠如。
すべての始まりはここにある。



2002/01/19(土)
総合学習のアイデア

僕が学校の先生だったら、
次のような総合授業をしたい。

焼き物の製作。
みんなで土器を作ります。
粘土をこねて糸状に伸ばしていきます。
そしてそれらをクルクルと丸めて縄目模様を作っていきます。
縄目を使うという制約以外は、
模様やデザインは各自の感性に任せて
自由奔放に作ってもらう。
とにかく人と違うものを作れば作るほどいい。
これぞ、縄文土器!

その後、縄文時代についての歴史を勉強します。
歴史の教科書を読みましょう。

今度は、家庭科で縄文土器を鍋にして
カレーライスや豚汁を作ってみる。
みんなでおいしく召し上がりましょう!

芸術、工芸、歴史、家庭科の混在授業、
こんな授業があったら楽しいだろうなー。

縄文時代と聞くと、
狩猟・漁猟・採集、竪穴式住居
なんてキーワードが思い浮かぶけれど、
それ以上に人間の生活の原点。
つまり「生」きることを「活」性化する知恵の原点が
あったのではないかと思います。

現代社会の価値観で眺めてしまったら、
確かに縄文時代は貧しい時代かもしれない。
しかし人間精神の開放性を比べたら、
遥かに豊かだったのではないかと思います



2002/01/17(木)
不審船事件

この前の不審船事件。
もし隊員が死亡していたり、
海上保安船が撃沈されていた場合は
どうしていたのでしょうか。

最悪の事態を想定した議論が全くありません。
もし沈没した船が北朝鮮のものだったらどうするのでしょう。
日本海域内を勝手にウロウロし、
ロケット弾まで発射してくるという現実。
これは戦時状態に他なりません。

ある日突然、N.Y貿易センタービルが攻撃を受けたように、
日本の保安船も攻撃を受けました。
さあどうする。

北朝鮮の港に爆弾を落とすのか。
外交ルートで抗議をしてシラを切られるのか?
はたまた「金○○を逮捕せよ!」
って話が出てもおかしくない。



2002/01/16(水)
本物とニセモノ

ブランド品を持っている人は、
そのブランドによって本人の資質が問われることになります。

本物を持っているのだけれども、
「あっ、ヴィトン!」
なんて友人に指摘されて、
「ニセモノ、ニセモノ」
なんて平気で言えてしまう人は本物です。

他人に本物と思われようが、
ニセモノと思われようが関係ありません。
いいものを使っているという感覚は本人が1人締めです。
ブランド品に依存しない
「自分というブランド」を確立している人です。

逆に、
「このバックは本物で10万円で、何年製のもので・・・」
なんて鼻にかけて自慢する連中はニセモノです。
流行に遅れていないんだという感覚が欲しいだけです。
ブランド品を身に付けなくてはカラッポになってしまいます。
いやむしろブランドによって自らが骨抜きにされています。

ブランドは、本人の資質を浮き彫りにしてしまう、
ある意味とても恐ろしい品物です。



2002/01/02(水)
ゆく先がハッキリとわかった時代

元日は、「朝まで生テレビ」を少しだけ見ました。

景気をどうやって回復させるかなんて誰もわかっていない。
先行きのわからないポッカリと空いた穴を
どうやって埋め合わせるかが問題なのだ。
政治家、シンクタンク、経済学者、評論家
というラベルが貼られた人間が、
空虚な言葉で穴埋めをしている。
新聞を読めば分かるような議論しかしていない。

しかし、人類の歴史が始って以来、
ゆく先がハッキリとわかった時代なんてあったのだろうか。

結局、誰も語ることが出来なくなってしまったのだ。

今後の日本のあり方について議論をしたいのなら、
芸術家、哲学者、文学者、建築家、宗教家あたりに
任せた方がいい。




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