日記

日記(2001年9月〜12月)

2001/12/24(月)
「チャップリンの独裁者」

昨日は「チャップリンの独裁者」を家で見ました。
1940年に、こんなすばらしい映画があったなんて・・・。
アメリカ映画は衰退の一途をたどっています。
映画技術の進歩とともに、
内容やメッセージのレベルが低下し続けています。

映画の内容から判断するならば、
現在はおそらく日本映画の方が
圧倒的に勝っていると思います。
興行収入はパッとしませんが、
黒澤明・黒澤清・今村昌平・大島渚・北野武・青山真治
彼らの映画を見ましょう。

お笑いの方はさらに深刻でして、
ギリギリの状況に身を置きながらも
世の中を風刺する人がいなくなってしまいました。
ブッシュとビンラディンに便乗して
お笑いをやっている芸人が誰一人としていませんからね。
そんなパワーのある人がいないのです。
コントやギャグを聞いて、
楽しさを感じると同時に
「何か勉強になったなぁ」
と思える芸人がいなくなりつつあるようです。

さて今日はクリスマスですが、
修士論文の補強と修正を続けることにします。



2001/12/23(日)
古文・漢文の授業で習うべきこと

古文・漢文の授業で習うべきことは何だろう。

「古典文法、古典単語、書き下し文」
は習いますが、本質的なことではないですよね。。

もっと作品を鑑賞して
みんなで感想を話し合うという授業にするべきです。
古典には先祖代々に伝わる日本人の英知が
凝縮されているのですから。

いっそのこと現代語訳を読むという形式でも
いいと思います(註、和歌はそのままで)。
「ぞ・なむ・や・か連体形、こそ已然形」 や
「ず・ざら・ず・ざり・・・助動詞の活用」なんて
覚える必要はありません。

とにかく過去の日本人の知恵を
後世に伝えていくべきです。
これが古典の授業に課せられた使命です。

古典離れは今後ますます加速度的に増えていくでしょう。
その結果、日本人でない日本人が増加していきます。
そして西洋文化にまみれ、
自分の存在根拠を持ち得ず、
人工的な権利だけを求める虚無的な社会が
形成されていきます。
西洋思想を得々と語る人物を疑わなければなりません



2001/12/15(土)
歌の意味

三国志の一場面。
「董卓(とうたく)」という時の権力者の前で
子供たち”が次のような歌を歌っています。

千里草 何青々 十日下 猶不生

千里の草はいかに青々としていても、
十日もすぎれば生きているかどうかわからない。

まずは各自で歌の意味を考えてみてください。

何と!「千里の草」というのは『董』の字であり、
「十日の下」というのは『卓』の字のことです。
つまり、この歌に隠されているのは
「董卓はもうじき滅びる」ということなのです!

この歌を、董卓の前で子供たちが無邪気に歌う。
そして、本当に歌わんとしている内容は、
誰一人として理解していない。
なんて皮肉な、滑稽な場面だと思いませんか?

この歌を考えだした人は天才です。



2001/12/9(日)
「平将門」と同じ家紋

僕の母方の家は、
青梅に20代ほど続いている旧家であり、
その古い家屋は文化遺産として博物館に展示されています。
で、家紋を調べてみたら・・・
なんと「平将門」と同じ家紋であることがわかりました。
んー。なんかありそうですねぇ。



2001/11/23(木)
イチローがアメリカン・リーグのMVP。

イチローがアメリカン・リーグのMVP。
世界最高峰の野球選手である。
彼の日本でのプレーを実際に自分の目で見た人は
何人くらいいるのだろう?
テレビの生放送ではどうだろう?

日本の野球界やマスコミは
あれほどの実力と才能を、日本の人々に伝えずにいたのだ。

代わって声高に連呼しているのは
巨人、巨人、巨人!
イチローのホームランと仁志や元木のホームランの
どちらが多く報道されていたかを考えたら、
悲しくなってきます。
もちろん彼等もいい選手であることは間違いないです。
しかし超一流ではありません。

野球を見る側も絶望的な状態で、
最高のプレーを鑑賞したいという視点を
持ち合わせてはいません。

最近、野球のW杯らしきものがありましたが、
あんなのは日本代表ではありません。
なぜ、どのマスコミも
『日本の野球を結集させた最強チームを作れ』
と主張しないのだろう?
代表にイチローや松井や松坂や佐々木がいたか?

野球の世界一を決める大会よりも
甲子園の方が盛り上がるのだから
もうお笑いとしか言いようがありません。



2001/11/2(金)
修士論文が終了するまでしばし更新をお休みします。
再開は20日くらいです。



2001/10/23(火)
「ウンナンの気分上々」に出ます。

「データ分析によって理論的に最高のギャグを考え出そう!」
とかいう企画の話が偶然にも舞い込んでまいりました。
というわけで今日、
分析計画書を作って、TBSに行ってきました。
さて、どうなるのでしょう?
オンエアは11/16(金)の11:30からです。
「ウンナンの気分上々」という番組です。

その後、論文集めに明治学院大学へ。
芸術論の授業にもフラッともぐってみました。
曾我蕭白!
現在、渋谷の松涛美術館に展示されているので
是非とも見に行かなくてはなりません。
すごいよー。
230年もの時を経た現在においても、
ますます新しくなっている作品です。

さて帰りの品川駅に向かう途中、
目の前にパシフィク・ホテルが近づいてきました。
村上春樹さんの「ねじまき鳥」の一場面に出てきたところです。
コーヒールームを探索しに行ってしまいました。
フム、ここに綿谷ノボルと加納マルタなんかがいたのねぇ、
なんて小説の世界に浸りながらその場をあとにしました。



2001/10/11(木)
テロ事件について一言も

大学も後期が始まって軌道に乗って来たところ。
後期の初めの講義で、
テロ事件について一言も触れることなく淡々と
「今日は56ページから・・・」
なんてテキストを開いて
授業を始めるような教授がいたとするなら、
これは問題です。
社会科学系の講義であるなら
“ア然”としか言いようがありません。
現代の政治・経済・社会・宗教に
大きな影響を与えうる大事件について
全く言及しないなんて学問の専門家として失格でしょ。



2001/09/28(金)
道徳的行為を利用した不道徳な考え方

帰りの電車の中。
空き缶が1つ転がっていました。
車内が揺れるたびにあちらこちらへゴロゴロしています。
僕はいつものように電車を降りる間際、
サッと拾って屑かごに捨てたのでした。

この行為は「道徳的か否か」といつも考えてしまいます。

空き缶を、自主的に拾ってごみ箱に捨てる

という行為自体は道徳的だ。

しかし

「空き缶を拾うという良いことをしているんだ」

と思った瞬間に、

道徳的行為を利用した不道徳な考え方をしています。
良いことにすがりついて、
好感を得ようとしている人間。
これほど卑しいことはない。

世間的に道徳的で正しいとされる行動をする時は
いつもこんな感覚に悩まされます。



2001/09/22(土)
薬にまつわるイメージ

風邪をひいてしまいました・・・。
季節の変わり目には、
いつも風邪をひいてしまいます。
体中の関節が痛い。
今回の風邪薬は「ルル」を使用してみました。

「ルル」と聞くと、
石田ひかりさんの
「日本の風邪にはルルが効く」
というCMが思い浮かびます。

ビンから3粒を手に取り出して口に含み、
水と一緒に飲み込む瞬間、
CMのイメージも胃の中に流し込んでいる気分でした。
薬の成分ではなく、
薬にまつわるイメージこそが、
薬には必要なんでしょうね。



2001/09/20(木)
戦争が始まる。

「ここ数日、飛行機がよく飛んでいるわねぇ」
と母親が話しています。

僕は日中は都内にいるので「そうなんだ」と返答。

自宅の近くに米軍基地がありまして、
着々と戦闘準備が進んでいるようです。

「平和平和と言いながらも、
私達の手の及ばないところで
戦争が始められてしまうのね」

とつぶやいていました。



2001/09/13(木)
両極端の死

今週は祖父が亡くなったため、
葬儀に出ていました。
80歳という長寿をまっとうした上でのお別れでした。
だから葬儀の雰囲気も
「おじいちゃんをあたたかく見送ろう」
とほのぼのしたものでした。
「小学校の頃、何度も西武球場に連れて行ってくれたこと」
が思い出されます。

さて葬儀期間中、天寧寺に寝泊りして、
住職と一緒にNYセンタービルの様子を見ていました。

平和はタダではありません。
アメリカの同盟国である日本において、
テロ行為が無いとは断言できません。
「日本航空がハイジャックされて新宿のビル街や議事堂に激突」
という事態も絶対に有り得ないことではありません。
平凡な日常がいつ戦場と化すかも分からない世界に
我々は住んでいるのです。

「日常の最終地点にある死」

「日常を突然奪われてしまう死」
の両極端を垣間見た気がしました。




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